初先発なるか!?
マンチェスター・ユナイテッドでトップチームの練習参加を禁止されるなどパワハラを受けてきた元ドイツ代表MFシュバインシュタイガーが、30日のリーグカップ本拠地ウェストハム戦で今季初先発を飾る可能性が高まった。英衛星放送「スカイ・スポーツ」が報じている。
昨季バイエルン時代の恩師ルイス・ファン・ハール前監督に招聘され、ユナイテッドに移籍してきたシュバイニーは、今季から発足したモウリーニョ体制下で苦しみの日々を過ごしてきた。
移籍勧告に応じなかったためにトップチームから一時期追放され、ユースとリザーブチームや個別練習を強いられた。そして、クラブの資産報告書ではシュバイニーの年俸を「不良資産」と位置づけられ、欧州リーグの登録メンバーからも外されていた。
ドイツ代表で121試合に出場し、ワールドカップ優勝も経験したドイツの英雄はあまりに不当な扱いを受けてきたが、ここにきて風向きが変わりつつあるようだ。
大型補強を敢行したモウリーニョ監督だが、第13節終了時点でチームはプレミア17年間でクラブ史上最低の勝ち点20という低空飛行を強いられている。指揮官の手腕と成績不振に批判が集まるなか、冷酷な仕打ちを続けるわけにいかなかったのだろうか。「人道的な決断」と語り、文句一つ言わずに黙々と練習に励んできたシュバイニーに対して、トップチームでの練習参加禁止処分を指揮官は撤回するに至った。
復帰!?
レアル・マドリーは、アーセナルMFメスト・エジルとパリ・サンジェルマンMFアンヘル・ディ・マリアを復帰させることを検討しているようだ。スペイン『マルカ』が伝えた。
移籍金4500万ユーロ(約51億円)でレアルからアーセナルに移籍したエジルは、現在アーセナルと契約延長の交渉を行っている。現行契約は2018年まで。だがドイツ代表MFには、レアルに復帰する意思があるとされる。
エジルは3年前の夏、移籍市場の最終日にアーセナルからオファーを受け取り、これを受諾して移籍が実現した。当時、レアルのチームメートはエジルの移籍を惜しみ、放出を決断したクラブと選手たちの間には緊張が走った。特に、エジルと非常に親しい関係にあったDFセルヒオ・ラモスは今でもエジルと同じチームでプレーすることを望んでいるようで、何度かクラブに復帰の可能性を相談したという。
一方、ディ・マリアは2014年夏に移籍金7500万ユーロ(約85億円)でマンチェスター・ユナイテッドに移籍したものの、プレミアリーグに適応できず、その1年後にパリSGへと渡っている。パリSGとの契約は2019年までだが、現時点で契約延長についての交渉は行われていない模様だ。
両選手の周囲の人間は、すでにレアルと接触したとみられている。どうやら、選手側から復帰の話が持ちかけられたようだ。エジルとディ・マリア。彼らが再びレアルマドリッドのユニフォームに袖を通すことはあるのだろうか。
悲報
現地11月28日、南米コロンビア中部メデジン近郊で起きた飛行機事故事故。これまでに71人の死亡が確認されている。
その犠牲者の大半が、コパ・スダメリカーナ杯の決勝第1戦(相手はアトレチコ・ナシオナル)のためボリビアからコロンビアに移動中だったブラジル1部クラブのシャペコエンセの選手やコーチ、スタッフなど。2005年に柏レイソルでプレーしていたクレーベルや2013年のJ2得点王のケンペス(当時ジェフ千葉)、シャペコエンセを率いていたカイオ監督(2009年にヴィッセル神戸を指揮)などJリーグにゆかりのある人達も帰らぬ人となった。
スポーツ専門メディアの『ESPNブラジル版』は、この事故を受けて、シャペコエンセのキャプテンだったクレーベルの事故直前の言葉を紹介している。
2005年に柏でプレーしたクレーベルは、2007年から2010年の3シーズンに渡ってスペインの強豪A・マドリーに所属し、2015年にシャペコエンセに加入。その闘争心と牽引ぶりから「クラブのシンボル」と高い評価を受けていた。
『ESPNブラジル版』の追悼特集では、「このMFは、シャペコエンセでの2シーズン目を終えようとしていた。今シーズンは65試合で3得点。チームで最も経験を持つ存在というだけでなく、彼はキャプテンだった。コパ杯を真っ先に掲げるはずだった」とクレーベルとの別れを惜しんだ。
そして、クレーベルがフライト直前に自身のインスタグラムに投稿したメッセージも、特集には綴られていた。
「どんな人生でも僕は生きていく。そしてどんな人間も同じように愛するだろう」
飛行機の座席に座った写真付きで投稿されたメッセージには、ブラジル、日本、スペインであらゆるクラブを渡り歩いたクレーベルの生き様がにじみ出ていた。
悲報
現地11月28日、南米コロンビア中部メデジン近郊で起きた飛行機事故事故。これまでに71人の死亡が確認されている。
その犠牲者の大半が、コパ・スダメリカーナ杯の決勝第1戦(相手はアトレチコ・ナシオナル)のためボリビアからコロンビアに移動中だったブラジル1部クラブのシャペコエンセの選手やコーチ、スタッフなど。2005年に柏レイソルでプレーしていたクレーベルや2013年のJ2得点王のケンペス(当時ジェフ千葉)、シャペコエンセを率いていたカイオ監督(2009年にヴィッセル神戸を指揮)などJリーグにゆかりのある人達も帰らぬ人となった。
スポーツ専門メディアの『ESPNブラジル版』は、この事故を受けて、シャペコエンセのキャプテンだったクレーベルの事故直前の言葉を紹介している。
2005年に柏でプレーしたクレーベルは、2007年から2010年の3シーズンに渡ってスペインの強豪A・マドリーに所属し、2015年にシャペコエンセに加入。その闘争心と牽引ぶりから「クラブのシンボル」と高い評価を受けていた。
『ESPNブラジル版』の追悼特集では、「このMFは、シャペコエンセでの2シーズン目を終えようとしていた。今シーズンは65試合で3得点。チームで最も経験を持つ存在というだけでなく、彼はキャプテンだった。コパ杯を真っ先に掲げるはずだった」とクレーベルとの別れを惜しんだ。
そして、クレーベルがフライト直前に自身のインスタグラムに投稿したメッセージも、特集には綴られていた。
「どんな人生でも僕は生きていく。そしてどんな人間も同じように愛するだろう」
飛行機の座席に座った写真付きで投稿されたメッセージには、ブラジル、日本、スペインであらゆるクラブを渡り歩いたクレーベルの生き様がにじみ出ていた。